JAN!イベント馬車道の重鎮が語るザよこはまパレードの歴史

「最初、主役は米軍だった」馬車道の重鎮・六川氏が語る街に灯し続けたパレードの物語

オレゴン州ポートランド「ローズフェスティバル」視察時に撮影した豪華なフロート画像
オレゴン州ポートランドで開催されるローズ・フェスティバルの「フローラル・パレード」を視察。巨大なフロートはパレードの華!

 横浜市民のゴールデンウィーク・イベントのひとつといえば「 横浜開港記念みなと祭 ザよこはまパレード(国際仮装行列)(以下、よこはまパレード)」ですが、その華やかな行列の裏側に、どれほどの「ハマっ子魂」が詰まっているかご存じですか? 70年以上の歴史を持つこの祭りは、単なるイベントではなく、横浜という街が困難を乗り越えてきた証でもあります。

 今回は、長年パレードの運営に携わり、馬車道商店街のリーダーでもある「アート宝飾」の六川勝仁様にインタビュー。公式サイトには載っていない、時代と共に移り変わるパレードの「生きた歴史」を紐解きます。

米軍ジープに花を飾って:戦後復興期の意外な「原風景」

 1953年(昭和28年)に産声を上げた「横浜開港記念みなと祭り ザよこはまパレード(国際仮装行列)」。

 そのルーツを辿ると、現在の華やかな姿からは想像もつかない、当時の横浜の社会情勢が見えてきます。このパレードは、戦後の混乱期にあった横浜の観光振興と経済振興を目的にスタートしました。本イベント運営の重鎮である六川勝仁氏は、当時をこう振り返ります。

 「最初は米軍が中心だったんですよ。米軍関係のジープやトレーラーに花を装飾したフロートが参加した時代が長く続いていて」

 1950年に生まれ、父がパレードの立ち上げに関わっていた六川氏は、1960年頃からその光景を間近で見てきました。幼少期の記憶にあるパレードは、今の洗練されたイベントというよりも、もっと庶民的で、しかし街全体が復興へのエネルギーに満ち溢れていた時代でした。初期には船を模した巨大なフロートが登場するなど、港町・横浜としてのアイデンティティを必死に表現しようとする先人たちの熱意が刻まれています。

1台4,000万円の衝撃!芸能人と共に歩んだ「フロート黄金時代」

 高度経済成長期に入ると、パレードは一気に豪華絢爛な「フロート黄金時代」へと突入します。1964年の東京オリンピックの頃、各商店街は街の威信をかけて参加していました。六川氏によれば、当時は各商店街が1台につき2,000万円、大手百貨店などになれば3,000万〜4,000万円もの巨費を投じていたと言います。

 「当時は西口にもパレードがあって、本パレードの後にフロートが10台くらい連なって西口にもいっていました」

 フロートの上には「ヒデとロザンナ」といった人気芸能人や、お相撲さんたちが乗り、観客を熱狂させました。六川氏自身も、25年以上にわたり様々な趣向を凝らしたフロートを手掛けてきました。

 「一番印象に残っているのは、フロートの側面に水槽を貼って魚を泳がせたこと。でも、全然効果がなくてね。あとは花のフロートにスプレーで匂いを強くしすぎたり……」

 こうした試行錯誤の連続が、パレードを進化させていったのです。当時のフロートは今の数倍にあたる20台以上が連なり、横浜の経済力を象徴する一大ページェントでした。

1991年・ポートランド視察が変えた「世界基準」のパレード運営

オレゴン州ポートランドの「ローズフェスティバル」視察風景画像。
オレゴン州ポートランドで毎年6月に開催される大規模な都市祭り「ローズフェスティバル」を、有志で視察。その後の運営に生かされているという。

 大きな転換点は、今から35年前の1991年でした。六川氏を団長とする視察団が、アメリカ・ポートランドで開催されている「ローズフェスティバル」を訪れたのです。本場の祭りのあり方を目の当たりにした一行は、パレードを「世界基準」へとアップデートさせるべく、多くのノウハウを持ち帰りました。

 「ポートランドでは、人々が集まるとものすごく盛り上がる。その印象を組み込んで、今の形が出来上がったんです」。具体的には、長時間待機する子供たちの負担を減らすための順番調整や、パレードの距離の短縮などが導入されました。

 さらに、第50回を機に名称を「ザよこはまパレード」へと改め、キャッチフレーズの「Join The Fun(一緒に喜びに参加しよう)」もこの時期に生まれました。また、音の迫力を重視し、県警や消防、税関などが合同で180人規模のマーチングバンドを組むといった演出も、この視察が大きなヒントになりました。

「震災でも辞めない」子供たちの夢と継続という名の財産

 70余年の歴史は、決して平坦なものではありませんでした。景気の変動や震災、コロナ禍といった大きな困難に直面するたび、「もうやめようか」という議論が何度も巻き起こったと言います。しかし、六川氏らが一貫して守り抜いてきたのは「継続」という強い意志でした。

 象徴的なのは、2011年の東日本大震災の時です。

「開催をどうするかという議論もありましたが、そんな時、一通の手紙が届いたんです。中学生数人が連名で書いたもので、『(中止にせず)自分たちにやらせてください』という切実な声でした。彼らはこの日のために、1年かけて練習を積み重ねてきている。その発表の場を、奪っていいのかという話になったんです。」

 安易に中止を選ぶのではなく、形を変えてでも続けること。それが「横浜の励まし」になると信じてきたからこそ、このパレードは一度もその命脈を絶やすことなく続いてきたのです。

横浜は「コンサバでインターナショナル」次世代に繋ぐ商人の哲学

 最後に、六川氏は横浜という街の独特な気質について語ってくれました。

 「横浜って、すごくインターナショナルでエキゾチックなイメージがあるでしょう? でも実は、住んでいる人はすごくコンサバな感覚も合わせて持っていると、私は思っています」

 巨大な都市でありながら、中身はどこか人懐っこい空気と、伝統を重んじる気風が共存しているのです。

 「親子三代、あるいはおばあちゃんが孫の晴れ舞台を見るために集まる。そんな市民の生活の中に、このパレードが根付いている。それがいいんです」

 今年で関わって67年目になるという六川氏の言葉には、横浜の商人としての矜持が滲みます。かつては百貨店が豪華さを競い合い、今は市民団体やキッズたちが手作りの衣装で街を彩る。形態は変わっても、横浜パレードが目指すものは変わりません。それは「街全体の誇り」であること。このバトンを次の世代にどう手渡していくか。

 「とにかく続けることだね」――。

 六川氏の、そのシンプルな言葉の中に、横浜という街を愛し、守り続けてきた大人たちの熱い想いが凝縮されています。

横浜市長や神奈川県知事をのせたフロート画像
きらびやかなフロート!2025年の様子

(イベント紹介)
開港記念みなと祭 ザよこはまパレード(国際仮装行列)

開催日:2026年5月3日(日・祝)※荒天の場合中止
主催:国際仮装行列実行委員会
コース:
キッズパレード(全長1.4㎞)
山下公園中央口⇒開港広場前⇒横浜税関前⇒新港橋⇒赤レンガ倉庫前⇒万国橋交差点

スーパーパレード(全長3.4㎞)
山下公園中央口⇒開港広場前⇒横浜税関前⇒新港橋⇒赤レンガ倉庫前⇒万国橋⇒馬車道商店街⇒伊勢佐木町1丁目⇒伊勢佐木町6丁目

規模:63団体、約2,800名が参加

関連イベント:「あいすくりーむ発祥記念イベント」チャリティイベント(5月9日開催、アイスクリーム5000個配布)

ザ よこはまパレード 公式サイト(横浜商工会議所) https://www.yokohama-cci.com/about/index.html

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大沢野八千代

1983生まれ。横浜の対岸の千葉市で、横浜ナンバーに憧れを抱いて育ったフリーランスの編集者・ライター。ハマスタでササカマにかじりついているところをテレビ中継で抜かれ、家族から指摘された過去を持つ。Googleマップのランクは7。

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